ビギン

従妹の結婚式に出席した。場所は、舞浜にある、とあるリゾートホテル。教会、と呼べるのか、ホテルの4階にある結婚式を執り行う施設の壁は全面ガラス貼りで、新郎と新婦の視界には神父の他に海しか映らない。非日常的な、素晴らしい造りをした空間だった。そこだけではなく、ホテル全体が非日常的だった。なにしろ、ロビーにいると、ウェディングドレスを着た花嫁が何人も通り過ぎていく。そして、ロビーに溢れているのは、とても日常生活の中ではお目にかかれないほどに綺麗に着飾った招待客たち。ホテルマンたちも皆タキシード。結婚式を行うようなホテルなのであたりまえだが、全員が全員、正装である。



その日、父はどこか嬉しそうだった。3人の子供は皆成人しており、家族が揃って車でどこかに出かけるなんてのは、随分と久しぶりのことだったからかもしれない。休日であり、時期が時期であるため、東京ディズニーリゾートに行くであろう人々の渋滞に巻き込まれることが目に見えていたので、当初は、電車で行くという話であったが、しばらく、というか、年単位で車の運転をしていないにも関わらず、父は自分が運転するから車で行こうと言い出し、そうなったのだった。車にはナビが付いているのに、数日前から何度も地図で場所を確認していたのを僕は知っている。運転中、父は「動きにくいから」との理由で礼服のジャケットを着ておらず、上半身は白いシャツに白いネクタイ、冬だというのに腕まくりさえしており、どこか過剰なほどに家族にやる気を伝えているかのようだった。僕はその微笑ましさから、どこかくすぐったいような感覚をずっと感じていた。予想通り渋滞に巻き込まれ、時間内に着くかどうかが危惧されたものの、開始時間の20分前には無事にホテルに到着した。父は自らに課した「父の仕事」をやりきり、その安心感と達成感からか、「ほっ」と息を洩らした。「久しぶりの運転にしてはなかなかだっただろ?」父は、軽く微笑みながら僕にそう言った。全てが快調だった。久しぶりに家族全員が集まり、車という狭い空間の中で時間を過ごしたからか、心も普段以上に打ち解け、家族の結束が強まったかのような気さえした。父が、久しぶりに『お父さん』になった瞬間だった。



その父が、車のトランクを空け、茫然としている。訊けば、なんと父のジャケットが入ってないのだという。僕は、「結婚式に出る人がジャケットを忘れる」などということは、きっと僕と関係の無い、どこかのとんでもないバカがやらかすようなことだと思っていたが、そのどこかのとんでもないバカがあろうことか自分の父だったとは。家族全員が愕然とした。そして次の瞬間、父は、一瞬で威厳を失い、僕含め、家族全員から一斉にバカと言われた。とてもじゃないが時間的に取りに戻ることが出来ないので、僕らは取り合えず「ホテルで貸衣装を借りるしかない」と、バカを連れてホテルのロビーに向かったが、正装した人々が行き交うロビーに一人、結婚式なのにジャケットを羽織っていない以前に冬なのにシャツ一枚という規格外でラフでタフな格好をした父は、「家族の恥」以外の何物でもなく、それが正真正銘自分の父であるという残酷な現実と僕らは戦う羽目になった。非日常的なその空間だったが、その中にあって、父は更に段違いで非常識だった。ヤバイ奴だった。



その顔は、母や僕が弥生系であるのと正反対に、縄文系の顔をしており、はっきり言って、濃い。「ビギン」っぽい、と言えば分かりやすいだろうか。そのビギンが、冬なのにジャケットを羽織らず、また、結婚式なのにジャケットを羽織らず、ロビーの中央で根拠もなしに毅然としている。毅然としている意味が不明だったが、どうも、さも自分は暑いからジャケットを脱いでいるだけだ然とした演技をしているようだった。そんな父にさっさと借りてきなさいよ、という母の目がマジだった。フロントに行き、交渉、そして、待つこと数分、一人のホテルマンが貸衣装のジャケットを持ってきてくれ、僕らは一様に安堵した。ジャケットを受け取る時、その従業員に対して、父は「さっき食事した時に、ちょっと汚しちゃって。」と言っていた。



父が家族全員の前で嘘をつく。



非日常的な、あまりに非日常的な体験だった。