ソニンの新曲「ジグソーパズル」を聴く。PVを観る。

理想と現実のはざまで夢を失くして大人になる事へのアンチテーゼを唄う、ロックナンバー!
というのは、ソニン公式サイトによる楽曲紹介文なのだけれど、聴いてみたらだいたいその通りの曲だった。



僕は、胸を張って「ロックの話はできません。」と言えるほどにロックに疎いのでこう言い切ることに何も意味は無いのだが、聴いた時、確かにロックだなぁ、と思った。自分の音楽的な好みで言えば、好んで聴くタイプの曲調ではない。ソニンが歌っていなければ、見向きもしない曲であるのだろうと思う。それでも、この曲にあまり悪い印象を持っていないのは、ソニンの今までのソロ活動の延長線上にある曲として、受け入れやすかったことと、あと多分、単純に高橋諭一の編曲とソニンの歌声に耳が慣れているからなのだろう。



ただ、歌詞の方には引っかかった。冒頭から『愛、夢、理想、希望』と、いきなり週刊少年ジャンプの王道マンガが好みそうなキーワードの連続で始まる歌詞は、全編通じてとにかく青く、そして、『失望を手に入れるんだ』といったような諦めと開き直りによる苛立ちに満ちており、精神的な余裕も無ければ、前向きな表現すらもどこにもないが、メッセージ性だけが強い。その強く押し出されたメッセージは、表現方法も主旨も明らかにどこかで聴いたことのあるようなものばかりで、一言で言えば、「真剣十代しゃべり場」、言葉を借りて言うと、「これでティーンのハートもガッチリだ!」的な印象があり、どうにも青臭くさい。皆さん御存知の通り、松岡修造氏が自身を犠牲にしてまで我々に警鐘を鳴らし続けてくれていることの一つに、「爽やかも、度を越せば暑苦しくなる。」ということがある(あと「お坊ちゃまは、総じて天然である。」等についても警鐘を鳴らし続けている)が、度を越えた青さもまた、微笑ましいでは済まなくなる、ということを僕はこの曲から学んだ。この曲の歌詞は、20代も後半に入った自分にとっては、多少身に摘まされもするが、そういったものを余裕を持って受け入れられるほど僕が成熟していないので、不快なくすぐったさがある。はっきり言って、くすぐったさが不快だ。不快な歌詞ならそれを単なる音として意味を無視してしまえばいいのだけど、歌詞自体のメッセージ性の強さと訴えかけるようなソニンの歌い方がそれも許してくれず、どうにも困る。まぁ、自分個人の印象をさて置けば曲にこういうメッセージがあってはいけないとまでは思わないけども、ソニンの場合、メッセージ性のある曲の時に限って、TVなどで歌う際に感情を込めることだけを優先して、音程をとることを疎かにする傾向が見られるので、あんまり重いメッセージのある曲は向いてない気がするのだけど、どうなのだろうか。



それと、この歌詞世界について、上記のソニン公式サイトによる楽曲紹介文のつづきでは
ソニンの等身大を表現し、心の内をぶつける作品です!
などと抜かしているのだが、その点については、こちらサイドとしてもバカ野郎この野郎!酸いも甘いも噛み締めたソニンに対して何言ってやがる!と、ビートたけし化も辞さない覚悟で毅然と遺憾の意を表明しておきたい。





で、PV。



落書きだらけの公衆トイレの個室で、ソニンがギターをジャカジャカ弾いて歌いまくっている。責任と重圧を背負った現代人が、一切の他者との関係性を遮断して唯一「一人になれる場所」の象徴としての「トイレ」。そこでようやく吐露できる、描いた理想と自分が今ある現実との乖離。ソニンがサンドバッグを思い切り殴るシーンは、鬱積したストレスを爆発させるイメージ。曲の世界観に忠実に合致したPVだった。かなりいい出来だと思う。



また、3D格闘ゲーム「デッドオアアライブ」シリーズを彷彿とさせるほどのやりすぎなまでの乳揺れ機能爆発ぶりは、おっぱいデカけりゃデカイほど!(O・D・D!)を合言葉とする諸氏にとっても、十分に満足のいく抜かりの無い出来だったということも付け加えておく。





すげえアングル!!