二人ゴト〜後藤さんと田中ちゃん〜を観る(後半戦)

前半3回の「動」に対して、後半3回は「静」の展開。お台場の観覧車の中に、定点カメラ(モニターもあるっぽい)が設置してあり、そこに乗り込んだ後藤真希田中れいなの二人がその手持ち無沙汰になること山の如しな完全密室状態の中でお喋りする。


第四回放送分―――――――

■「ヒャアヒャアヒャアヒャアヒャアー!!」と紛れもない奇声を発しながら、興奮した牝牛みたいな(見たことないけど)すごいテンションで後藤が観覧車に搭乗。予てより「初めての観覧車は好きな人と乗りたい!」と少女マンガ100%な願望を公言していた後藤だが、どうやら今までその機会がなかったようで、今回が『生まれて初めての観覧車』ということになるらしい。記念すべき瞬間であった。まぁ、後藤にとって特別な想い入れのあるようだった『生まれて初めての観覧車』という行為を、こういったTV番組の企画で果たしてしまったことが、”記念すべき瞬間”になったのかどうかは分からないが、僕にとっては、生まれて初めて「奇声を発しながら観覧車に乗りこむ人」を見た、という記念すべき瞬間ではあった。



■観覧車の中の二人は、まず今日一日(前半3回分)を振り返る。特に自転車ゲームで足がパンパンになったことを熱弁する後藤。身振り手振りと糸で吊られてんじゃねーかっていうぐらいの重心移動がハンパじゃなかった。その後は、田中が憧れの先輩である後藤に「聞いて欲しいこと」を喋り、後藤が先輩としてそれを聴き、経験を元に諭す感じのトーク。あと、後藤が昔、安倍と矢口とよく遊んでた。という思い出話があったが、特に見所もなく4回目終了。





第五回放送分―――――――

田中、デジカメを取り出し「(一緒に)撮ります?」

後藤「いいよ。」



その後藤の「いいよ。」という声が、いきなり事件。あたかも人が首を絞め殺される断末魔に「く、苦しい・・・。」と捻り出すように言う時のような声色だった。で、僕はその声色をどこかで聴いたことがあるような気がしてならなかったのだが、勿論後藤が首を絞め殺されるところなどを見た経験などあるはずもない。必死に思い出してみて出た結論は、後藤の持ちネタの一つである「千と千尋の神隠し」での我修院達也のモノマネ(「千をよこせ!」)をやるときと全く同じ声色だということだ。あれ地声だったのかよごっちん



■あの時は超緊張した、と「愛のばかやろう」をリリースした当時の思い出話をする後藤。こういう、相手(この場合は田中)と共有できないタイプの思い出話は、どうしたって自己完結して終わる以外に法がない。後藤がした思い出話も、そのセオリー通りに「へぇー、そうなんですか。」以外の受け答えが難しい感じで終わっていたのだが、そこから「そうなんですよ、私も――」と話を広げていく田中には感心した。その田中の博多弁が会話の節々に徐々に出始めてきている。ここにきて田中が少しづつ打ち解けてきたみたいだ。後藤は、後藤自身か言うように緊張してるのかしてないのかが分かり辛いタイプなだけに、打ち解けているのかどうなのかは依然としてよく分からない。



■客前で歌う方が楽しい!というトークの流れで、コンサートで名前を書いたうちわやスケッチブックを出されたりすると嬉しい!ということで意気投合する二人。なんてファン思いなんだ!と思いつつも、同時に、余計なこと言うなよごっちん、と思う。





第六回放送分―――――――

■話すことに夢中になりすぎて、「観覧車がてっぺんに来たときに、景色を見ること」をスルーしまう二人。僕が観て感じていた以上に、二人は打ち解けてきていたようである。その、頂上をスルーしてしまったことに気づいた瞬間、田中がまたも伝家の宝刀を抜いた。



田中「逃してしまった・・・!!」



どうやらこの演劇口調は、田中の口癖であるようだ。多分、僕が知らなかっただけで、田中れいなには元々『〜してしまった。』という口癖があったのだろう。それにしても、なんてナイスな口癖なんだろう。それだけではなく、『逃す(=のがす)』という時代がかった語彙のチョイスも個人的にはかなりグッとくるものがあり、これは俄然目が離せなくなって参りました!



■この番組、普段は仲がいい人同士でタッグを組んでやっているのだという。なのに、何故この二人が?という話で盛り上がる二人。こういう話題が出来ること自体が、打ち解けてきた証拠なのだろう。その流れで田中に、後藤は喋りづらい・話し掛けづらい人っていうイメージだったけど、話してみたらそうじゃなかった、と振られて後藤、



「なんかねぇ、アホって言われる。なんか多分だから本当、なんか知識っていうか頭ぁー、年齢がもう止まってるから、自分の中で。意外と、こう誰とでも喋れる。上の(年齢の)人も全然喋りやすいけど、下の人も今はたぶん平気だし。」



見ての通り、ごっちん全開!!といった趣きのある語りだが、要約すると、自分の中で自分の年齢が止まっている、だから誰とでも喋れる、ということ・・・?で、いいの?か?正直、よく意味が分からない。それはさて置き、気になるのは「アホって言われる。」ということ。これはもう繰り返しになってしまうが、上記の一文に限らず、確かに後藤の言うことは時折、というか、いつでも、よく意味が分からない。しかし、後藤のトークテクニック、若しくはスキルでもいいが、そういったものを「アホ」の二文字で片付けてしまうというのは、どうなのかと思う。「アホ」という言葉は、そこに愛があろうがなかろうが(心にダムがあろうがなかろうが)、また「いい意味で」などと付け加えてみたところで、自分の信じる規範よりも劣る行為、或いはその人に向けて言われるものであるのだろうし、だとすれば、後藤のトークテクに関しての相応しい表現ではないのではないか。むしろ、後藤の言わんとすることを理解できない=そこまで文章理解レベルが達してないこっちの方が「アホ」と呼ぶに相応しい。アホは、我々だ。だいたい何の面白みもなく理路整然と喋れたからといって、そんなもんは多少訓練すれば誰にだって出来ることだし、誰でも出来ることなんかには価値など無い。(ここでの"価値”とは希少性があってこそ生じる云わばダイヤモンド的な価値のことで、例えば水や空気など見られる希少価値<利用価値についての価値はここでは考慮しない。)だから後藤が「アホって言われる」ということについては、甚だ遺憾であるし、後藤にはそんなことは全く気にしないでいて欲しいと言いたい。そもそも気にしてる様子など全く無かったような気がしないでもないが。



■で、いきなり〆めますが、二人はメールアドレスを交換したとのこと。「仲良くなる」という番組の目的は、とりあえずは達成されたんじゃないでしょうか。たいした接点のないもの同士が仲良くなっていく様を映す、というのはこれといって目新しいものではなかったけども、モノがモノだけに見ていて楽しかった。どっちかといえば、前半の方が面白かったかな。あと、暫くは田中を見る際に僕は、「−てしまった!」待ちの状態に陥ると思うが、わざわざ書くことは無いだろう。