津軽海峡の女

恥の多い人生をおくってきました。「津軽海峡の女」、僕は今までこの曲をしっかり聴いていなかったかもしれない。何度かソニンのアルバム「華」を通して聴いてみて、思い知らされたのがそれだ。



この曲が発売された当時、正直に言えば、僕は全く好意的に受け入れていなかった。前作にも増してダークな曲調、ただ肌を露出していればいいと考えてるとしか思えないジャケ、そういう路線が続くことが嫌で嫌でしかたなかったし、何より、“ソニンが”というよりも“EE JUMPが”好き(そりゃソニンも大好きですけど、EE JUMPソニンどっちが好き?と訊かれたら「EE JUMPです。」と答えてしまう)だった僕にとって、所謂EE JUMP的な歌を歌わないソニンは、なにかザラついた感じを拭いきれない対象だった。



当時を振り返って思い出すのは、「また『〜の女』かよォ!」と、手足をジタバタさせて泣きじゃくったあの日、そして、「きっと本当のソニンちゃんは、あのとき韓国に行ったまんま帰ってきてないんだ。」と、ヤバめな思考を巡らせ、ブっ飛んだ目をして玄関から韓国目指して走り出したあの夕暮れ、あるいは「横乳の次は中乳か・・・!!」という怒りに顔を歪ませ、気が付くと明け方まで田中邦衛の顔マネを特訓していたあの夜、とか、まぁモチ全部嘘だけどさ、言うなれば、そういうある筈も無い記憶を捏造してしまうほど、この曲に対してはいい印象が無かったのである。



そのまま、発売当時は別として、特別聴くことが無いまま日々は過ぎてしまった。「津軽海峡の女」は、僕の中では嫌いな曲のままであったのだが、そこに「華」である。ソニン・ソロアルバム発売である。その中で「津軽海峡の女」を聴き、僕は以前と180度異なる感想を抱いた。この曲、いい曲じゃねぇかよ、と。



ということはだ。結局のところ、僕は全く何も見えていなかったし、何も聴いていなかったのである。つまり、幾多のギミックにより、輪郭すら見えずらかったソニンのことを、もっと多くの人に知って欲しいとばかりにソニン特集を書いてみたり、その作業を通じてソニンのことを少しは知ってるつもり(not 関口宏)になっていたが、ソニンがソロ活動をしても尚「EE JUMPソニン」としてしか見ていなかったし、仕掛けられたギミックに目を奪われ耳を奪われしていたのは、むしろ自分だった。



「華」を通じて、「津軽海峡の女」を通じて、それにやっと気づいた。これからは「EE JUMPソニン」ではなく、初めて「ソニン」として見ていけそうな気がする。僕にとって、「華」は、そういう価値があるアルバムである。なんて書いてはいるが、拾ったフリーウェアでこういうのを作って一人で喜んでる自分がいる。だから、人間なんて絶対信じたくないし、お前ら全員俺の敵だ。俺のチェキ・DA!HIP HOP!



 HIP HOP ピース☆