99の後藤真希

99の後藤真希

99の後藤真希

能地 祐子



後藤真希が、幼少期やモーニング娘。時代のエピソード、初のコンサートツアーで何を感じたか等を思うままに喋る(「語る」じゃなくて「喋る」)ので、そこから各自「今の後藤真希が何を考えているのか」、「本当の後藤真希とは何なのか」を読み取ってくださいよ、といった感じの本なのだろうか。



なんのことはない。要は、いつも勝手にやってることだ。あの『ごっちんトークから何を云わんとしているのかを理解するためには、一度意識的に「理解する」という作業が必要になる。なにしろ、後藤真希は、驚くほどに語彙が少ないので、言ったことをそのまま受け取っても、一体何を言っているのだかよく分からないこともままある。だから、意識的に理解する。ニュアンスや擬音、連発される「なんか」の隙間から、勝手に読み取る。実に病んだ作業だが、その作業は、割と楽しい。



その点で言うと、この本は、『後藤の喋り』が「喋り言葉」で書いてあるものの、いつものそれとは些かの差異があるように思え、そのことが読んでいてざらつき、「いつも勝手にやっている作業」をするのがやや困難だ。というか、『言葉』が予め汲み取られたカタチで載っているので、一番楽しい部分が既に終了済みのような感じがし、なんだか面白くない。この間、まだ読みもしないのに書いた「こっちで勝手にやるから、そのままの言葉を載せてくれよ!希望的妄想込みで補完するから!」っていうんじゃないけども、いや内心それもあるんだけど、どうも現場では冗談半分で言っているであろう『変わってる』ことが、ニュアンスの伝わり辛さから、まるで後藤が真顔で言っているように感じられたり、下手すれば、スチャダラ言うところの「私ぃ〜よく人から変わってるって言われるんですぅ〜。」かぁ!?的なものに見えたりしたりするのも、ちょっと、なぁ・・・。『変わってる』ことは、やっぱり『変わってる』喋り言葉で読みたいし、そうじゃないと、ただ自意識で「私は、変わってる」なんて言ってる小娘みたいに見えてしまわないだろうかと危惧してしまったのだが、そもそも、後藤真希は変わってるってことを知ってる人しか読まないか。



そういったわけで、単に、後藤真希が今何を考えているのか、それを知る(理解するじゃなくて、知る)ということは出来たので、そういった意味では読んでよかったと思えた。ただ、帯に書いてある「素顔の後藤真希」というものを、(「僕の場合は。」という注釈付ですが)自分の中に鮮明に映し出すには至りませんでした。誰にも分からないのが後藤真希の本質だ!!、とか言っちゃえばそれまでだけど。