矢口真里「おいら」読了

おいら―MARI YAGUCHI FIRST ESSAY

おいら―MARI YAGUCHI FIRST ESSAY

矢口真里



ビートたけしと並ぶ、世界2大「一人称がおいら」の一人こと、モーニング娘。矢口真里のファーストエッセイ集。幼少時代の自分や、モーニング娘。の今昔と自分が参加してる(していた)各種ユニットに対する思い、それらを矢口が振り返るカタチで『語る』。エッセイの体裁でありながら、もっと半自伝的な内容。



この本、全く、「いいこと」しか書かれていない。「いいこと」っていうのは、感動ハートフルエピソードだとかそういうのを指してるのではなく、俗っぽい言い方をすれば、「矢口の好感度が上がるようなこと」を言っているのだけど、どこを読んでも、この本にはそれしかない。全てが完全に矢口目線で語られていながら、自分のこととなると割との客観視出来ていると思えるような語り口も「好感」なら、モーニング娘。加入当時の苦労話(また、それに対してどう克服の努力をしたか)、メンバーが脱退することに対する自分の思いなどなど、なにからなにまで、隅から隅まで「好感」に次ぐ「好感」。好感のオンパレード。ここまで好感尽くしのことばかり書いてあると、逆に、なんだよ自分の都合のいいことばっかり語りやがって、なんて、僕みたいな90%が自己嫌悪と妬みで構成されている人間ならそう思ってもおかしくないところだが、しかし、そこに押し付けがましさみたいなものは全くないし、嫌味に感じる部分なんて、本当にもう微塵もなかった。やっぱり人間努力が大切だよなぁ〜、なんて良い子なんだお前って奴はよぅ、とか、読みながら素直にそう思った。読後、何故か軽く自己啓発されている自分に気がつく。ソニンさんも、わけの分からない自己啓発本を読む前にコレを読め。まぁ、本の中で矢口が「ソニンとはすごく仲がいい」と書いていたので、既に読んでいることと思うけど。

■続けざまに読んだので、それがコンセプトから全くの「別物」だと分かりつつもどうしても「99の後藤真希」と比べてしまうのだけど、装丁、エディトリアルデザイン、質感・手触り、表紙の「顔」のセレクト、本の大きさ・重さ(これ重要!)、コストパフォーマンス、そして、本をめくって一番最初に目にする文章が矢口自身の言葉であるという点(「99の後藤真希」は、杉作J太郎の「後藤真希感」だった)など、どれをとってもコチラの方が1歩も2歩も上の出来、かどうかは、個人個人のアレだが、僕は単純に好みだ。恥ずかしげもなく「モーヲタ」とかいう糞みたいなネーミングのそれを自称したことのある人にとっては、もうね、名著。今はもうモーニング娘。への興味がなくなってしまった人も、機会があったら読むべき。むしろ読まない意味がわからねぇ。読まない人はバカ。アタシに騙されなさい。おすぎでした。