埋める

僕が『ヒデキ』と言えばそれは松井秀喜のことを言っているのであるし、僕が「ニュース見た?」と親しい友人に訊いたならば、それは「今日の市井紗耶香ニュース読んだ?」という意味なのである。逆もしかりで、僕が『ヒデキ』という3音を聞いたならば、真っ先に松井秀喜のことを連想するのだし、同じように友人から「ニュース」という音が発せられたなら、それは市井紗耶香ニュースのことを連想するのである。過去の経験から、脳が勝手にそう判断する。これはどうしようもないことだ。そこに意思は介在しない。



先日、横浜アリーナで行われたSPEEDのコンサートを観に行ったソニンは、感動すると同時に、そのほぼ満席に埋まっていた会場を目の当たりにし、同業者としての悔しさを感じたという。その際ソニンが、自分の中で静かに、しかし力強く誓った言葉が、ソニン公式携帯サイト「アーティストステージ」のコラムに、こう記してあった。



自分もいつかうめるぞ




いつか自分も憧れのSPEEDと同じ横浜アリーナの舞台に立ち、きっと満席にしてやる。私は、やってみせる。そんな決意表明。あるいは、SPEEDに憧れて歌手を志して4年余り、私はまだ全然あそこまで行けていないのではないか、という髀肉の嘆なのかもしれない。ファンとして、その気持ちが痛いほど分かった。やはりソニンが一番やりたいことは歌なのだ。歌で成功を収めること、それに対してソニンがまだまだハングリーであり続けていることを確認でき、感動さえした。



ソニンが言わんとしていることは本当によく分かったんだ。本当によく分かった。分かっていながらも、「自分もいつかうめるぞ」を読んで僕は、というか僕の意思とは関係なく脳が勝手に、「客席をうめる」ではなく、「テメェ、埋めるぞコラ!」的なものを真っ先に連想してしまったのだった。その瞬間、僕の脳内でソニンの発言と名著「ビーバップハイスクール」の世界が直結、「自分もいつかうめるぞ」は本来の意味を失い、「吐いた唾飲まんとけよ」と同じような意味あいの用語として認識され、とある店の中で携帯を見つめて一人、押し寄せる笑いたい衝動を噛み殺して口の中が爆発するんじゃないかと思った。土の中に埋められるべきは、きっとこの僕だ。