「すべり止め 砂」再び

とある工事現場、いや正確には、見る限り無人で何かの工事をしている様子が全く無く、例の虎柄の仕切りで囲まれて関係者以外の立ち入りを拒んでいるだけ場所の外、歩道の脇にそれはあった。



「すべり止め 砂」と書かれた看板だ。およそ一年の歳月を経て、奴がまた僕の前に現れた。今回は、前回発見した時と明らかに違っていることがあった。前回はこの「すべり止め 砂」と書かれた看板の周りには何も無く、ただぽつんと立てられており、その意味するものが全く分からなかったのだが、今回は、その看板の真下に土嚢が2パック(notシャクール)積まれていたのだ。おそらく、この土嚢の中に入っていると思われる砂を何かのすべり止めに使うのだろう。苦節一年、漸く「すべり止め 砂」の謎が解けました。



なんのことはない、「すべり止め 砂」は、すべり止めの砂がここにありますよ、という意味の看板だったのだ。ただ、よくわからないのは、『それをわざわざ看板にする』ということの意味だ。これが、例の虎柄の仕切りの内部に向けて建てられているのなら、話は分かる。工事現場の作業員に、「すべり止め 砂」はここだと、またはここに置けと、そういった意味があるのだと推測できるからだ。しかし、これが建てられているのは、仕切りの外、歩道の脇である。対象は、道行く人だ。道行く人が「すべり止め 砂」の看板を目にする。そこから視線を落とすと、土嚢が2パック積んである。この中の砂をすべり止めに使うのだろうな、と思う。



で、どうすればいいんだ。そこにあるのは、噛み付くわけもない、ただの砂だ。一体何に注意すればいいと言うのか。「すべり止め 砂」が道行く人に対して、看板として促す注意がなんなのか、相変わらず理解できない。これが「すべり止め ダイナマイト」と書かれていたなら話は別だ。そこにダイナマイトが2パック積んである。細心の注意を払わなければ、それは死を意味する。僕はまだ死にたくない。だれでもいいからアイドルと結婚するまでは死ぬわけにはいかないのだ。僕は看板を目にし、タバコの火を消すなどの注意をすることができるだろう。この場合は、必要な看板だといえる。



また、「すべり止め 村上龍」と書かれていた場合も、その看板は有用だ。その看板を目にしたら、ある意味ダイナマイト以上の注意を払わざるをえない。なぜなら、そこに村上龍がいる。ということは、そこには必ず”得体の知れない何か”が潜んでいる。村上龍の眼力で見抜いた何かがそこにある。その”何か”も充分な恐怖の対象だが、もし、そこにいる村上龍と目が合ってしまったら・・・ と考えるだけで僕を更なる恐怖が全身を貫く。開口一番、いきなり僕の家族構成とかを言い当てられるかもしれない、という恐ろしさ。お得意の歯に衣着せぬ物言いで、僕の駄目な部分をズバズバと、また至極的確に指摘されたりしたらと考えるだけで身の毛もよだつ思いだ。僕は一生立ち直れないだろう。だから、村上龍のいる場所には、必ず看板を置いて欲しい。「村上龍がいます。」僕は間違いなく、そこを避けて通る。