たてかべ和也

僕が小学生の頃、特に低学年の頃になるが、BB戦士というSDガンダムのプラモデルが一世を風靡した。クラスの男子の誰もが例外なく、新作が出ればとにかく買う、という問答無用のスタンスだったのだから、そのハートがっちり鷲掴みされ具合が知れる。



僕の小学校では5年生になるまで自転車に乗ってはいけない、という地獄の掟があり、低学年の基本的な移動手段は『ダッシュのみ』に制限された。となると小学生の足だ、当然ながら、行動範囲も決まってくる。その狭い行動範囲にある唯一のプラモデル屋が、僕らの主戦場だった。その店では、毎週土曜日になると新作を入荷する。店が開くのは、昼の1時。まさにジジイが道楽でやっているようなプラモ屋だった。故に、入荷数が恐ろしく少ない。僕らは、土曜日に終業のチャイムがなると競うように教室を飛び出し、家に着くや否やランドセルをオーバースローで放り投げ、親を拝み倒してゲットした5百円玉を握り締めてその店へと急いだ。予約なんていう生易しいシステムなど、その店には存在しない。あるのは、欲しければ早く買いに来い、というシンプル且つ非常なシステムだけだ。とにかく他の誰よりも早く行かなければ、話にならない。しかし、どんなに急いで行っても、その店の前には既に並んでいる奴がいる。学校とその店とを点と点で結んだ直線上に住んでいる奴には、どうしたって勝てなかった。完全競争主義だった。競争社会の理不尽さを死ぬほどを学んだ。ジジイの「売ってやる。」という傲慢極まる姿勢に幼心に気が付いていない訳じゃなかったが、その「商売云々じゃない。好きだからこの店をやってるんだ俺は。」的なスタンスがなにやらカッコよくも映っていた。



大学生の頃、思い出したようにその店に行ったことがあった。店は、あの頃と何一つ変わっていない。ノスタルジックな衝動を抑えきれずに入店すると、やけに小さくなったあのジジイの姿があり、それだけでも結構な衝撃だったが、小学生の頃あれだけ邪険に僕らを扱ったオヤジが、人が変わったように好感接客してくる姿にこそ衝撃を受けた。箱からしてバカでかい、当時出たばかりの1万円を軽く超えるガンダムのプラモを熱心に勧めてくるジジイ。当然、その店で最も単価が高い商品だ。大人になってプラモ屋に行く輩は、8割方プラモオタクである、ということをジジイは、知っていた。箱の中身を僕に見せ、どこがどうスゴイのかを説明し、「か、買わなきゃ出られない。」的な空気を狭い店内に一気に作り上げるジジイ。それはあたかも、巣にひっかかった蝶を恐るべき素早さでグルグル巻きにする蜘蛛のような鋭敏さだった。商魂の塊で、接客セールストークの鬼でもあった。身動き一つとれない状況に陥った僕は、結果、エヴァンゲリオン初号機を買って店を出ることとなった。おいジジイ、道楽でやってたんじゃなかったのか。何か、無性に悲しくなった記憶がある。



ついこの間、久しぶりにそのプラモ屋の前を通ったら、僕の記憶のその店とはあまりに別物な姿へと変貌を遂げており、しばし言葉を失った。時代がそうさせたのか、あの20年以上その地に店を構えていた小汚ねぇプラモ屋が、「ヘッズ御用達」といった感じの、タフなBが着る服を取り扱う店に変わっていたのだ。昔は、ジジイが自作したと思われるガンダムや戦車の塗装済みプラモが陳列されていたその同じウインドウにならぶのは、ラージサイズのいかにもな服の数々。丁度その店から出てきた輩は、完全にそっち系の服に身を包んだ縦にも横にもドデカい野郎で、仮に彼を描いたアニメが製作されるとしたら、9分9厘「たてかべ和也」が声をあてることになるであろう男だった。すんごい、ジャイアンだった。僕には、とてもじゃないが、中には入る勇気がなかった。多分、オヤジは死んだのだろう。これからも思い出のある場所が次々に失われていくのであろうが、その度に今のようなえも言われぬ気持ちになるのだろうな、と、そのとき強烈に思ったのだった。