人として

4/16付けの日記で、新シリーズ放映までに過去の金八シリーズ全話を観直す!!

と豪語した私だが、その宣言通りに夜な夜な金八を観続け、既にもう全てのシリーズを見終わっているのだった。(実のところ、第二シリーズの途中6話分ぐらいがどうしても見つからなかった為に「全て観た」とは言えないが、金八なんて最初と最後の3話を見れば十分である、という僕が独自の経験から培った持論で強引に捻じ伏せることにする。)自らに課した「一日一金八」のノルマを大きく上回る、異例のハイスピードである。このペースなら、本気を出せば全シリーズを2ラウンドこなすという前人未到の所業をも、まるで睡眠を摂るかのごとく、ごくごく自然体で実現してしまいそうで怖い。などと自らの金八消化スピードの超人ぶりに酔いしれていたのも今は昔。今は、突如浮上した深刻な問題に頭を悩ませている。”それ”は当初より危惧されていたことだが、全身全霊を賭して無理矢理気づかぬふりをしていたものだった。



『飽き』である。



人は突然飽きる。それまで、これ以上のものがあるのか!というほどに盲目的に打ち込んできたことですら、とある瞬間を迎えると、いきなり飽きる。その盲目度が高ければ高いほど、それと比例するように、んだよもう見たくねぇよ度もまた高くなる。これは仕方がないことだ。やはり僕も機械やミカンではなく、人間なのであって、こればかりはどうも避けようがない。だいたい150話近く一気に観ておいて、飽きない奴の方がどうかしてるんだよ。腐ったみかんを放り出せば済むという荒谷2中の音羽先生(城南電気の故宮路社長似の声を持つ逸材)の考えなどここには通用しないのである。金八新シリーズをこれ以上無く楽しむために自ら始めたことだが、その「欲」に今、首をしめられている。その上、一向にオフィシャルな新シリーズ放映のアナウンスが無いのも、なにか、もうたまらない。もしかして、思いっきり徒労に終わってしまうのか、そんな疑念が脳を掠めるだけで死にたくなる。もはや、バラエティー番組に出ている武田鉄矢を見るだけで衝動的にテレビを投げ捨てたくなるぐらいのNO MORE 武田!ぶりだ。このまま行けば、僕は新シリーズ放映のその瞬間、もはや金八を受け付けることの出来ない体になっているかもしれない。