矢口!

http://www.helloproject.com/newslist/050414-1.html

めざましTVで知って朝からぶっ飛んだ。はっきり言ってもうモーニング娘。を誰が卒業しようが脱退しようが引退じゃない限りは、ああそうですかとか、それってロックやん?とか、或いは、それロックちゃうやろ?ぐらいの感想しか出てこないし、今回辞めてソロになることが決まったことそれ自体についても同様だけれど、モーニング娘。の、というかハロプロ全体の歴史を通じての中核メンバーであり、僕自身にとっては、今まで何度となくその動きや表情、歌、時には言動のみで「矢口カワイイ!」と叫ぶことを余儀なくされるほどいいものをいっぱい魅せてくれた”あの矢口が””こんな辞め方で”っていうのはやっぱり寂しすぎる。なぁ、仕方ないで片さんでよ! …っていうのは今度リリースされるモーニング娘。の新曲"大阪 恋の歌"の歌詞からの引用なんだけど、この曲、石川卒業対応で出される曲だけあって冒頭に(疑問符付きの)惜別のセリフパートがあったり、歌詞が「なんでなんでどうして終わりなん?」とか「自慢だったあんたが、いつも一緒のあんたがいない」だったりで、なんかもうシャレにならないことになってる。プロモーションで何度かTV番組で歌うのだろうけども、これを矢口抜きで歌ってる娘。を観るっていうのはマジでキツイなぁ。この歌好きで、TVでの露出が楽しみだっただけに残念。というか、残念。

3年B組金八先生 最終回「25年目の贈る言葉」を観る

僕が持っているもっとも人間らしい感情のひとつである、面倒臭い、に負けてだいぶ放置してしまいましたが、全話録画の上しっかり見てますので、書きます。前代未聞の4時間SP。半年間見続けたファンへの感謝とも嫌がらせとも取れるその長さも、当初に危惧した「観ている自分がグダグダになってギブアップする」という事態にはならず、一気に観せてくれた。冒頭1時間を使い、ダイジェストで今期をざっと振り返ってくれたのもありがたい。武田汁(金八の鼻腔から止め処なく流れ落ちる液体の意。ただの鼻水と片付けるにはあまりに意味が重く、かと言って聖水と呼ぶにはあまりに気持ち悪いので、武田の本気汁を略してそう呼んでいる)の分泌量が過去最大級だった「ドラッグを憎め!ドラッグを憎め!」のシーンが流れるころには、こっちの魂も十二分に持っていかれており、いい感じに暖まった状態で本編を観ることができた。以下、本編の感想。だらだら書いたから長いよ。

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シンガポールトランジッッッッッット!!

3rd ステーション 後藤真希

3rd ステーション

言わずと知れたキングでゴールドなナチュラルボーン無自覚ことゴマキちゃんの3rdアルバム、「3rdステーション」が大事件!! 実に11曲中9曲が僕の苦手なタイプか興味の対象外の曲調という非常事態!ながら、そんなものは小事! 昨今のハロプロ曲の私的ヒット率を鑑みれば、尚更小事! そして、ついこの間、狂ったようにリリースされるハロプロ関連メディアをオールラウンドでほぼ全て買っていた狂い咲いたハロプロファンの友人から「ハロプロ関連のブツを全部処分したいんだけど、買わない?」との連絡が入り、こうしてまた一人僕の周りのハロプロファンが消えた、というか、気がついてみればついに全滅し、俺、陸の孤島になる、という世相も時勢も反映した出来事があったのだが、それすら小事!! 大事件なのは、収録曲「シンガポール トランジット」が素晴らしすぎるコト!これ!

当然専門的な話は出来ないし、おそらくその必要もないので感覚的なことのみで語る上に読んでくれる人の理解も同意もまったく考慮しないけども、この「シンガポール トランジット」、何が素晴らしいかって、清涼感のあるメロとそれを効果的に引き立てる音たちで構成されたミディアムポップの上に、今更「かわいい!」だとか説明することもばかばかしい後藤真希ぴょんの声の中でも僕がもっとも好きな声が浮遊感たっぷりに流れていく、この異常なまでの気持ち良さが素晴らしい! もう聴けば聴くほど身中の毒や悪意が洗い流されていくのが実感できる。30回ほど連続際再生していると、細胞分裂は活発化し、新陳代謝が通常の5万倍のスピードに加速、その結果、肉体は時間の制約を飛び越えて進化と退化を繰り返し、膨張した意識と精神は宇宙の最果てにまで隈なく放たれ、そして、ニュー・ミムとしてピッコロ大魔王に激似なルックスに生まれ変わった24番目の僕が今これを書いている。指が四本というハンディを抱えつつも、それでも猶更新したくなるパワーをもってるのがこの曲だ。

そして、歌詞!! まず、夏休みに彼とシンガポール経由で南の島に旅に出る、のではなく、それを想像する小娘が彼に甘えて語りかける、という着眼点とコンセプトの変態ぶりにグッとくる。松浦の「トロピカ〜ル恋して〜る」でつんく♂が(40前の男なのに)爆発させた、"小娘が抱くラブラブ旅行前のワクワク感"も素晴らしいものがあったが、この曲で魅せた、それの更に手前の、”旅行に行く予定すらも立って無い段階での小娘の妄想”を(40前の男が)描く、というド変態丸出しのスタンスもまた、同じ変態仲間として共感することこの上ナシ。

でまた、そこで描かれる主人公(小娘)の人物設定及び描写が秀逸!!

ちょっとビックリする不思議な晩御飯食べて

なんだかほら分かんないような虫を見つけて

一日目が過ぎていく

たったこれだけの歌詞で、主人公の小娘が、土曜の昼2時ぐらいに放送する一線を退いたアイドルとダチョウ倶楽部クラスの芸人が出ているグルメツアー番組(”天国ツアー”と”地獄ツアー”の両方を攻める)から得た知識のみで構成されている東南アジアのイメージを持っていることまでを見事に描ききっており、そこから更に飛躍して、この小娘が、そういった庶民感覚を持ったどこにでもいる女子短大生で、その後なんとなくOLになって、今の仕事に疑問を抱いて英会話を始めて、でも一ヶ月ぐらいで辞めちゃって、みたいなところまで想像できなくも無い。それだけのテクニックを駆使しておきながら、しかし、そこに最近のつんく♂詞で鼻につくメッセージめいたもののがどこにも無いのがすばらしい。アイドルの歌はこうでなくちゃいけない。カワイイカワイイ言いたいんじゃボケ!ワシが聴きたいもんを歌わせるんじゃあ!という酷く我侭な、しかし純粋な、つまり俺たちの心の代弁者的な、そんなアイドルのプロデューサーとしての基本に立ち戻った姿勢には、部屋で一人全裸でスタンディングオベーションを送りたいと思う。

大仏を観ない

今の僕の表層が金八・元テレ・ビーバップハイスクールで構成されているとするなら、もっと奥の方のコアな部分では、ドラクエガンダム三国志が幅を利かせているのはまず間違いが無い。そういう世代だ。僕が小学生の頃には、それらを好きになる以外に生きる術が存在しかなかった、と書けば大げさなことのように聞こえるだろうが、それらを知らないと会話が成り立たないほどの、言わば共通言語だった。学校に行く前には朝からテレ東で再放送のZガンダムを観て、5分間の休み時間には武将早書き(黒板に三国志の武将の名前をいっぱい書いた人が勝つストイックなゲーム)に精を出し、家に帰ればジャンプ片手にドラクエ4を攻略する、皆が皆そんな毎日を送っていた。まぁ、他の穴出身のスノーボールどもがどうだったかは知らないけども、ともかく僕の生まれ育ったサウスブロンクスでは、みんなそうだった。この間、ようやくドラクエ8をクリアしたこともあって、精神的幼児退行が加速し、ドラクエをクリアしたからには、当然次はガンダムを攻略するべきでそれが自然な流れだ!とばかりに、千葉の松戸にあるガンダムミュージアムに行ってきた。現場に到着すると、入り口でいきなりコレ↓が迎えてくれる。

等身大のアムロだ。見ての通り、客を出迎えるために置かれているはずであるのに、笑顔はおろか視線すらもそっけない。とりあえず、絶対に人の話を聞かずに、すげぇ口答えしてきそうな顔だ。今にもわなわな震えだして、不平不満を猛抗議しだしてもおかしくないほどに不機嫌そうですらある。人形とはいえ、なんてムカつく態度なんだ。ちょっとは見習えよ、なんかペコちゃんとかそういうのを。が、それがなんともアムロらしいともいえる。お、やるなバンダイ、と思わせられたが、それ以上にこのアムロ像の”質感”から伝わってくるダイエーの屋上のアミューズメントスペース感の凄まじさは、僕らの膨れ上がった期待とテンションを一発でぶち壊すに十分だった。一瞬たじろいだが、これも記念だし、ということでデジカメを取り出し、このアムロとのツーショット写真を撮ろうとしていた強化されすぎた感のあるカップルの前に無言で割って入って恋写したのが上の写真だ。ラーメン屋の券売機みたいな機械で入場券を購入し、中に入ると、薄暗いスペースの真ん中にスペースコロニーの模型が置いてある。実物の30000分の1だというが、当然実物などは存在しないので、これの3万倍がスペースコロニーの大きさなのかと理解したが、一口に「3万倍」と言われても数字が数字だけに、頭では理解できても脳裏にビジョンを描くのは不可能だ。なので、コロニーってでけぇーんだな、ぐらいの感想しかでてこなかった。次のフロアに行くと、実物大のザクの頭がおいてある。というか、それしかない。ぐるりと見回し、ザクってでけぇーんだな、という感想とともに、次に進むと今度はコレ↓がドカンと現れる。

ガンダムの実物大の上半身。やはりここでも、ガンダムってでけぇーんだな、という一つ覚えの感想を抱き、500円払えば連邦やらシャア大佐やらと同じ制服を着てこのガンダムと写真が取れるアトラクションを思いっきりシカトして次に進むと、そこで終わった。上のアムロ像の質感と、300円という異常に安価な入場料がいかに雄弁にこのミュージアムを語っていたのかを、強烈に実感した。

その後は、僕が何の気無しに発した「仏像見たくね?」という本心のわけがあるはずもない不用意な一言のせいで、一行は高速に乗って一路鎌倉へ向かったが、結果行くだけ行って大仏を見ない、それどころか一回も車から降りない、という酷く曖昧で生産性の欠片もない時間を過ごしたために取り立てて書くことが無い。頭の上をぶら下がったモノレールが通り過ぎていったのと、昼間っから暴走族がいたのが衝撃だった。

帰りにZガンダムガンダムZZのDVDを全話分と逆襲のシャアを一気に借りて、今は観るのに忙しい。インターネットにかまっている暇など無いのである。では、なぜ今更新しているかと言えば、「今、ZZの最初の方を観てるから。」と書けば通じる人には通じるだろう。大人になってから観ると意外と発見があるのかもしれない、と思ってZZを見ているが、今のところひどく苦痛だ。

ヒロシ

家族の一人が大病を患った。脳に腫瘍が出来てしまったのだという。病気に無知な自分だが、それがSランクの病気であることぐらいは分かる。何の予兆も無く、突然の頭痛と発熱で病院に行ったら見つかったのだった。先日、その摘出手術が行われた。僕も病院に行き、終わるのを待っていた。僕が想像していた、手術室の前にある皮製のベンチに座り、ひたすらに「手術中」と光る赤いランプ消えるのを待つ、といったドラマでよくあるような感じではなかった。僕の家族専用の部屋が用意され、そこで待つこととなった。それが10時間に及ぶ大手術だったからなのか、それともどんな手術の際でもその部屋が「ご家族」に用意されるのかは分からない。頻繁に使っている風でもあったし、使われていないと言われればそれも納得するような部屋だった。その部屋は、入院部屋の一室をそれ用にレイアウトしただけのような部屋で、薬臭く、無機質で、広い。ソファーと長い机、それと部屋の一角に本棚が置いてある。本棚には、聖書や小説の文庫版などに混じり、こち亀、静かなるドン、今日から俺は!、クレヨンしんちゃん、など、どこのバカ野郎がセレクトしたのか? というぐらいに無軌道で統一感の欠片もないラインナップが並んでいた。そんな「町の床屋さんの本棚」的な老若男女に愛されるべき気の利いたラインナップも、時と場合によってはこれ以上なく神経を逆撫でするラインナップになることをその時に知った。そして、その部屋で、ただ待った。手術は上手くいった。術後、ICUに移されてから面会した時は、まだ麻酔が抜け切れておらず、本人がかなり朦朧としていたので心配になったが、先生の話では後遺症の心配も無いという。よかった。

帰りのバスの中で、僕の後ろに座っていた小学校2、3年生ぐらいの二人組の会話が聞こえた。幼く甲高い声で「ヒロシです・・・。」と、二人して延々ヒロシのネタを喋っている。どうも暗記したネタを言い合っているだけではないらしく、ヒロシです・・・というフォーマットを使った、その子供らのオリジナルのネタのようだった。思わぬところで出会ったヒロシの影響力の大きさに驚いていると、今度は「有田です・・・。」と、”もしも、くりぃむしちゅーの有田がヒロシのネタのフォーマットでネタをやったら”的なことまで喋り始めたので更に驚いた。またその内容が、ウンナンにへんな名前に変えられたとです・・・だのと小学生のくせに妙に詳しかったのも衝撃だった。今後、TVでヒロシを見ると、僕はこの日のことを思い出すのだと思う。

そして、ホッとした僕は、慰めるようにPS2を買い、矢口もすなるドラクエ8というものをやり始め、気がついたらサイトを大放置していたのだった。

ソニン新曲「あすなろ銀河」のPVを観る

ソニン史上初となるドラマ仕立てのPV。よく映画の主題歌に使われた曲なんかのPVで、映画の映像を繋いで作ったものがあるが、そんな雰囲気さえある。唄っているシーンが全く無いことと、9分弱という時間の長さを考えれば、ショートムービーと呼ぶ方が適当だろうか。全編ロケを慣行した贅沢なつくりだ。が、けして高尚になりすぎておらず、どこかカラオケのバックで流れてる謎のドラマ映像を髣髴とさせるチープな親しみやすさがあるのも、やはりソニン!!という感じがして良い。

内容はというと、まず、ソニンが白い杖をつき、盲目の少女として登場する。”盲目”と聞いて我々人類が意図せずとも思い出してしまうのは、当然ながらスティーヴィー・ワンダーその人に他ならない。劇中、ソニンがその類い稀なるデコの広さをあえて強調したような髪形をしているという点についても、80年代後半からの僕らがよく”知っている”スティーヴィー※参照を意図的に思い出させてるのでは? と取れなくもない。なので、ここにスティーヴィーへのリスペクトの精神があるのはまず間違いないだろう。で、そのスティーヴィー云々はここですっぱり忘れてもらうとして、ドラマは、盲目のソニンが街中で何かに追われる男と運命の出会いと果たしたことを切欠に始まっていく。ハンディキャップを持つ女と裏の顔を持つ男が、互いを暖めあうように寄り添いあっていき、幸せを手に入れる寸前で悲しい結末を迎えてしまうというストーリー。

全体的にその様は、野島伸司の「この世の果て」、または「白線流し」や「若者のすべて」といったような90年代ド真ん中なドラマの趣きがあり、また、相手役の軽くユウキ入った男が衆人環視の雑踏の中で刺されてしまうシーンに関しては、僕ら世代(20代後半〜30代)を構成する重要なピースのひとつである長渕ドラマ「とんぼ」のラストで、英二(長渕)が死にたいぐらいに憧れた花の都大東京の街中で刺されて血みどろになりながらも頑としてタバコを口から離さなかった、あの名シーンが思い起こされる。つまり印象を要約すると、時代錯誤以外の何者でもない。が、和田社長をして「昭和のにおいのする女」と言わしめたソニンだけに、そういう時代錯誤な設定こそが妙にハマっているので何の問題も無い。結果として、今まで同様にこれぞソニン!という、ソニンにしか作れないPVが出来上がっていると思う。いい出来だ。ひとつ苦言を呈すなら、このドラマのインパクトが曲の印象に勝ってしまっていると思えたところだが、考えてみれば、それはいつものことだった。

この「あすなろ銀河」のPVは、ソニン公式サイト(http://asunaroginga.com)でフルで視聴できる。また、ソニン最新シングル「あすなろ銀河」は、今日発売です。

あすなろ銀河
あすなろ銀河

3年B組金八先生 第11回「鶴本直・決断の旅立ち」を観る

前半は、主に鶴本直のホルモン投与開始のエピソード。性同一性障害を持つ直が、ついに始まる念願の男性ホルモン投与を前にして逆に動揺し、金八のもとを訪れる。一通り直の話を聞いた後、唐突に第6の出席を取り出した金八が始めたのは、一人ぼっちの熱い授業。動揺を緩和するために取る手段が、慰めるでも励ますでもなく、授業。さすが金八である。まさに教育の鬼。まぁこれは、卒業生後日談で展開される単発モノの2時間スペシャル(通称:金スペ)の縮小版ですな。時間的にも登場した卒業生の数的にも縮小版だった。個人的に第6シリーズにはあまり思い入れがない(熱い授業のシーンで訳もなく泣いたけど、もはや僕の涙なんて相当安い。)ので、ここはさくっと終えるとして後半の話。

しゅうが虐待されている現場を崇史が目撃してしまったことにより、話が一気に展開する。崇史はしゅうに口止めされたが、なんとかしゅうを助けたい崇史は、舞子に相談の上、金八にしゅうの事情を話してしまう。事情を知った金八がしゅうの母親を問い詰めに行くと、そこに例のヤクザが乗り込んできて殴る蹴るわの大暴れを始め、しゅうを助けるために「ドラッグは俺が持ってる!」と、いきなり口から出まかせ100%のことを口走った挙句、「お前にもおっかさんがいるだろ!」とヤクザに説教を始めた金八(最高!)はあやうくドスでブッ殺されそうになるが、しゅうの家に向かうヤクザを目撃した舞子と崇史が警察を呼んだお陰で事なきを得る。イの一番にドアをノックしたのは、当然大森巡査!! ここで繰り広げられた「大森君!早く」「きんぱつぐん!」のやり取りは、声だけで相手を確認できる仲である二人だからこそ成立するやり取りで、グッときた。

その騒動でしゅうの父がドラッグの常習者であることと母が父にドラッグを打っていたことが警察の知るところとなり、二人とも逮捕されてしまう。おそらく最終話直前までは引っ張るだろうなぁと思っていた「しゅうとヤクザとドラッグ」の問題が一応解決し、これにて一件落着かと思いきや! ここで更に激震! 家庭の問題で思いつめていた崇史が、一連の騒動で家庭を壊された(と、受け止めた)しゅうに「お前のせいでバラバラだ。君は友達じゃない。」と言われてしまったことで唯一の支えを失い、自宅マンションから飛び降りてしまう。で、それを知ったしゅうは、錯乱し、自宅に残されていたドラッグ一式セットに手を伸ばし・・・と、ここで終了。

すげぇー怒涛のエンターテインメントだった。今まで三ヶ月かけて少しずつ進んできた話が一気に片付いた上に、思いも寄らない方向に進んだ。金八シリーズで生徒の中から自殺者が出たのは(言葉でのカミングアウトや、無意識のリストカットはあったけども)、初めてだと思う。いよいよ来るとこまで来たなぁ・・・。

ちょうど第6シリーズの生徒が出てきたので第6と比べるけども、第6より今回の方が相当ダークな展開だけど、まだ今回の方が見ていられる(と書くと嫌々見てるみたいだけど違うよ!)のは、金八家で繰り広げられる武田鉄矢の技量のみ(もっと言えば表情のみ、さらに言えば「目の動き」のみ!)でぶっちぎるコメディータッチのシーンがあるからだと思う。第6シリーズは、学校では問題続発、家では命が危ない病人がいるわで、まるで救いようがなかったが、今期は、しゅうを中心とした本編たるダークサイドドラマと、反比例する勢いで金八家でのコメディードラマが展開されているので、ちょうどいい感じに緩和されている。まぁ、そのコントラストがひとつのドラマとして成立するか否かぐらいにすごいことになってるいるのだけど、あまりダークに偏重し過ぎると個人的にげんなりくるので、どうかこのバランスで突っ切って欲しい。